2011年1月30日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!遅くなったけどあけましておめでとう。

Y: あけましておめでとうございます。 でももう今年も1ヶ月過ぎましたよ。 

Aloha健: ほんまやなぁ。 子どもは月日と共に凄まじい成長をしているのに、自分も同じように成長できているのかって、自分に対して思うよ・・・

Y: どうしたんですか? 健さんは今、自分が理想だと思う教育を実現していってるんじゃないのですか? それは健さんのなかで、過去と比較して成長している分野だと思いますけど。

Aloha健: お、それ入れてもいいの? そうだった、そうだった! 俺は自分が描いた形を実現していってるんやな! がはははは! ・・・まぁ万人受けはしないけどな。

Y: 万人受けしないって、どういう意味ですか?

Aloha健: 俺が半個別(先生1対生徒4)という形態を選んだのは子どもを全力で伸ばしたいという自分の欲からなんよ。 例えば勉強が得意な子の場合、難関校受験のための塾が1クラス15人だったとして、進行する側は大体レベルを平均か平均よりちょい下に設定して授業をしていく。 すると最もできる子に対しては最善とはいえない環境になってしまうんよね、どうしても。 それでもできる子は勝手に伸びてはいくんだけど、ベストではないというジレンマがあったわけ。 だからといって家庭教師だと1対1だから人間関係の相性も絡むし、子どもが疲弊する場合がある。 一方、勉強が苦手な子の場合でも、そもそも学校の授業についていけてない可能性が高いわけで、それなのに集団授業の塾に行っても環境的に一緒だからあまり意味はない。 そういう勉強が苦手な子にも半個別が適していると思って、これぞ理想の成績を伸ばす形態だと思ってたんよ。  

Y: (えらく熱弁やな) ・・・  

Aloha健: でも俺の理想の教育形態である半個別は、反面、勉強分野において自分自身に甘い子どもには厳しい教育になってしまう。 それは授業形式の塾だと塾にいるあいだにボンヤリしていても授業は進んでいきなんとなく勉強した気分は得れるし、同じ志しの仲間もいるし、そこにいるだけで何かに属してる感があるから、子どもとしては楽なわけや。 でも今やってる半個別は、自分に与えられた問題をクリアしない限り先に進まないし、当然ボンヤリもできない。 受身の勉強じゃないから、子どもにしてみたら常に目の前に新しい壁が用意されるような状況なわけよ。 

Y: (なんか遠くを見てはるけども) ・・・

Aloha健: つまり、今やってる俺の理想的だと思う教育は、現在成績がいい悪いに関わらず、元々勉強に対して好奇心が強い子には最も適してる教育方法だと思うし、俺の感覚では目の前に少しずつ自分にとってチャレンジしないといけないものを与えられると自ずと好奇心は芽生えると考えていたわけだけど、そうは言っても元から勉強に対して好奇心がない子もいるわけなんよね。 じゃあそういう子に対してどうしたら勉強への好奇心が芽生えるのか、何か方法はないのか、と考えるわけよ。 本音を言えば、勉強が好きじゃなければ勉強しなかったらいいし塾に行く必要がないと俺は思うけど、通塾が保護者の意思だったりして子どもを預かる場合もあるわけで、そういう場合もなるべく好奇心を持ってもらって成績を伸ばしたいからなぁ。 いろいろ試行錯誤しながら考えてるわけよ。  

Y:  (3年に1回ぐらいちゃうか、この熱弁は) ・・・

Aloha健: ほな、そういうことで。 波が俺を呼んでるし波乗り行ってくるわー マハローさいならー 

Y: ・・・・おーーい!ほんまに行きよった。 えらい長い独り言やったな。