2015年1月30日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y:  あけましておめでとうこざいます。 2015年がスタートして1ヶ月経ちましたね。 

Aloha健:  歳月人を待たずといった感じだね。もう平成になって27年か・・・。

Y: そのしみじみと目を細めた作り顔、やめてもらえませんか。時の流れとは言葉上のもので時に流れなんてありません。時は速さがないので時が経つのが速いということもありませんよ!

Aloha健: おー、そうやったな。すまんすまん。 時が経つのが速いとかそういうわけじゃないけど、昭和の大スター高倉健さんが亡くなってからも、もうすぐ3ヶ月になるね。 健さんには日本のみならず中国にもたくさんファンがいて、ファンの人々はまだまだ悲しみに暮れていることだろう。 そこで「健さん」を代表して、ここにいる僕、「健さん」が昭和世代のことを少し懐かしんでみようと思う。

Y: ・・・・。

Aloha健: 昔が輝かしく見えるのはいつの時代も同じだし懐古趣味なわけじゃないけど、平成から考えると昭和は良き時代だったなぁと「健さん」は思うよ。 人が多く、泥臭い競争があり、荒々しく、ダイナミック。そして生命力が必要だった。たとえば昭和時代の労働者といえば、タバコの煙モクモクの会議室で頭をつき合わせ火花を散らす論戦をし、日本経済が高度成長するようなアイデアと技術案を次々に産出していった。煙たい空間で体調が悪くなったり、健康被害を主張したりしてたら勝ち残れなかったわけや。今はタバコの煙は害以外の何物でもない時代になった。俺は喫煙者じゃないけど、クリーンな環境、風通しのいい空間、何かとつけて地球人としてエコ・・・みたいな誰も彼もが共通の善を求め、潔癖になり、「空気よみなさいよ」という空気が充満しすぎているような社会は「健さん」としては性に合わんわ。

Y: (「健さん」って使ってるだけやんけ) はぁ。

Aloha健: 必ずしも善や幸福を皆で追求することが正しいわけじゃない。 不器用ですから、うまく言葉に表すことができないが、そんな右へ倣えな思潮は逆に怖く感じるな。ほな波が俺を呼んでるし、波乗り行ってくるわー マハローさいならー! 

Y: (よく喋る「健さん」やったなぁ)