2016年1月30日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y: もうすぐバレンタインデーですね。日本では女の子が好きな男の子に告白するイベントですが、なぜそのルールになったのでしょうか。男の子が告白する日でもいいと思うのですが。

Aloha健: えー、由来知らんの? ほんま困ったもんやなぁ。困った困った困ったちゃんや。しゃーないから俺が懇切丁寧に教えたるわ。

Y: (なんか嫌な予感)あ、はい。じゃあ。 

Aloha健: 恋心っちゅうのはな、最初は心の中で「あれ?」という程度に芽生え、それが段々と「私もしかして、あの人を・・・」と存在感を発揮しはじめ、遂には確信に変わるまでに成長するものなんや。

Y: (なんのこっちゃ)それがバレンタインデーと何か関係があるのですか。

Aloha健: つべこべ言わずちゃんと最後まで聞きなはれ! そうやって育んだ恋心は、最初は大切に大切に心の中に閉まっていて、たまに開いてはドキドキしているという控えめなものだけど、悲しいかな、人間の性として徐々に閉まったままでは物足りなくなるんや。そんな「あの人に気づいてもらいたい」「私の気持ちを知ってほしい」という、奥ゆかしさが失われて自己顕示欲が強くなった乙女に目をつけたのがロッテのチョコレートの重役社員や。江戸時代、まだまだ女性は社会進出なんてできていない時代だから、当然この重役社員は男性だったわけやけど「乙女というのは、そんなに自分の気持ちを知ってほしいものなのか」と、乙女の貪欲さに愕然としたと言い伝えられている。その時の男性社員の驚きは、現代人には想像ができないだろう。 「乙女心が知ってもらいたいものだとは思いもよらなかった」「じゃあその機会にチョコレートをあげるように仕向けよう」と、この重役社員はひとまず「バレたいん?デー」というのを作ることに決めたんや。

Y: (引っ張ったわりには安易なシャレやな)へぇ、江戸時代なんですか。wikiにはロッテの創業は1948年、日本でバレンタインデーが広がったのは1958年頃だと載っていますけど。

Aloha健: wikiをそんなに簡単に信じたらあかん! この話にはまだ続きがあるんや。重役社員には先見の明があったんやな、そこから日本に「バレたいん?デー」は急速に深く浸透し、その後、明治時代には男たちはチョコレートの数を競い合うようになっている。1877年2月14日のバレたいん?デー当日、西郷隆盛と木戸孝允はチョコレートの数を競っていたんや。あんまり知られていない話やけどな。でもずんぐりむっくりの西郷どんと、しゅっとした男前の木戸孝允、誰が見ても一目瞭然の勝敗で、女の子に貰ったチョコレートの数は0対100だったそうな。 その結果に激怒した西郷どんは翌2月15日、60年ぶりといわれる大雪の鹿児島を出発し、政府を討とうと、つまり木戸へのチョコレートの恨みをはらそうと仕掛け始めるわけや。これが現在日本国内最後の内戦である、かの西南戦争の幕開けの真実や。そのあと木戸孝允は同年5月に死ぬわけやけど、最後の言葉は大久保利通の手を握りながら「西郷も(チョコのことぐらいで)いい加減にしないか」だと伝えられている。しかし実はこのとき大久保も、死ぬ前に病床の木戸にチョコの数の真実を聞くために、見舞いを装ってきていたわけや。

Y: (アホや)そうだったんですか。これはこれは知りませんでした。 ちなみに先月の対談の題名「されば問う、リーダー」は「サルバドール・ダリ」をもじったんですよね。誰にも気づいてもらわれなかったらしいですけど。そろそろおやじギャグも潮時じゃあないですか。

Aloha健: もう俺もラフランス、つまり用なし(洋ナシ)やな。  ほな波が俺を呼んでるし、波乗り行ってくるわー マハローさいならー! 

Y: (めげへんな)