2014年2月28日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y: 今日の対談の題名を見ましたけど、とうとう気が狂ったようですね。

Aloha健: え、なんで?

Y: 今まで「この対談をする意味は何なんだ」と思いつつも、毎月出向いてきました。 なぜなら勉強を教える立場である人間がアホなことばかり話すというコンセプトについて、メリットが感じられないからです。しかし私も「まぁ楽しかったらいいか」と思ってしまう部分もあり、今日まで来ましたが、とうとう自分で自分の塾を扱き下ろすつもりなのですね。ついていけません。

Aloha健: 1番、てらしんについて知っているのは俺だから、弱点について知っているのも俺やん。ちょうど新学年の人が塾通いをスタートしようかなと思う時期だから、あらかじめマイナス面を書いておいた方が、無駄足も減り時間の節約にもなり親切やんか。 

Y: はぁ・・・。もう知りません。

Aloha健: まず「塾通い」の目的とは大局的にいうと、勉強が好き嫌いに関わらず、1:最終学歴を少しでも上げる、2:学力が必須となっている夢を実現する、3:今は何になりたいか決まっていないけど、決まったときに選択できるように学力を高めておく、大きくこの3つだと思う。そこに興味がない人は、塾にはあまり来ないわな。で、「塾通い」する意味での最終地点を大学受験と置いた場合、突き詰めて絞ると2つのことが小学生時からの計画で練られ進められていることが必要となる。1つ目は、私立中学受験レベルの国語と算数の思考力を得ていること。これは例えば大学受験の理系数学で、問題を見た瞬間に「この問題、○○の定理を使うのがこんな見え見えでいいんかいな、試験制作側ももっとカモフラージュしろよ」と感じるか、「○○の定理を使うなんて、思い浮かばなかった。くそー言われたら分かるのに」と感じるか、という差となって現れる。元々飛びぬけて理系な人を除くと、もうこれは高校時点で努力しても埋められるような類の能力差ではない。で、2つ目は中3時点で高1終了まで終わらせるよう小学校時点から学習を進行させる必要があるということ。小中時代と比べて高校で習う量が多すぎて、あまりにも偏ってるからね。まぁこの2点が必要となるのだけど、これを進めようとしたらどうなると思う?

Y: 厳しくなりますし、子どもによっては負荷が掛かり過ぎるかもしれませんね。    

Aloha健: そうやろ。ということで、てらしんネガティブキャンペーンその1には、離塾率が高いことが挙げられる。

Y: (素直すぎて笑えるわ) はは、そうですか。

Aloha健: そしてさっき言った「小学校時代からの学習進行計画」以外に、俺が大事だと思っていることは再三再四言っているけど「自学自習できる姿勢」を身に付けることや。これは大人になって仕事をする段階になっても使える能力で、自分で課題を発見し乗り越えるという能動的な姿勢は将来的にも武器となると思う。よって「自学自習する力」を身に付けて貰うため、よく言えば放任主義、悪く言えば放置主義で生徒に接している。俺の姿勢は泣くまで待とうホトトギスや。だから「間違ってもいいから自力で進めよう」「分からないところを見つけて質問しよう」という様にならない子は停滞して時間だけが過ぎる。「知りたい」と思うのは本能だと思っているので、急がば回れでひたすら待ち続けるけど、その間は成績が横ばいor下がる可能性がある。これがネガティブキャンペーン2。あと勉強以外では、元々、てらしんでは皆バラバラのことをしてるし、学年にこだわっていない進み方だし、個人主義なので協調性は育まれない。しかも友達が同じ曜日にいたらいいけど、いない場合のほうが多く、休み時間もシーンとしていて、それぞれ音楽を聞いたり本を読んだり寝たりしている。これがネガティブキャンペーン3や。

Y: (もうイヤや) つまり、1:離塾率が高く、2:放置主義で、3:休み時間が楽しくない、これで合っていますか? 

Aloha健: うん。さすがY君、サクっとうまくまとめたね! これが全てだと思うよ。もちろん離塾率が低くなるよう、休み時間が楽しくなるよう、出来たらとは思ってるよ。でも教育方針を妥協してまですることはないと思ってる。だから逆に、辞めずに通ってくれて、自学自習して質問を設定する力が備わり、休み時間に楽しさがなくてもまぁいいやと思う子にはピッタリやわな。実際、毎回宿題を多めに出しているにも関わらず、約1.5から2割ぐらいの生徒が自主的に宿題より多めに進めてくるし。ほな波が俺を呼んでるし、波乗り行ってくるわー マハローさいならー!

Y: (うーん、中高生はいいにしても、小学生にとっては友達と休み時間が楽しいことが、割と重要だと思うのですけど・・・)