2010年3月13日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y:すっかり暖かくなってきて、鶯の声も聞かれる季節になってきましたね。 サーフィンも楽しくなってくる季節じゃないですか? 

Aloha健: いい季節やね〜。 ファン ウェイブ !  ファン サーフやな! 最高、最高! ほ〜ほけきょや! 

Y: (ほーほけきょの表情・・・)  調子よさそうで何よりです。 健さんはいつも「最高〜」とか言って、幸せそうですね。 でも本当に幸せなんですか? 実はそういうふりをしているんじゃないですか?

Aloha健: ・・・・ お、おいおい! いきなり何を言いだすんや。 しあわせに、きまっとるやないか。 何で急にそんなことを聞くんや。

Y:いえ、ふと本当に幸せなのかなと思ったものですから。 では健さんは幸せな人生とはどんな人生だと思いますか。 

Aloha健: 幸せな人生とは、 永遠に追い求めるものがある人生だよ。 勉学、芸術、スポーツ、何でもいいと思うけど、自分が無条件にやり続けられることを見つけ、それに情熱的に挑んでいく人生が幸せなのじゃ。  

Y: (なのじゃって、あんた誰やねん) 確かに自分がしたいことをやっているときは幸せですよね。 でも大人になると仕事が忙しかったりで、なかなか好きなことをやる時間をとりにくいのが現実ではないですか。 

Aloha健: それにずるずると流されていったらあかんのや、Y君。 確かに生きていくには仕事をしてお金を得て食料を得ないとといけない。 しかし君は食べるために生きているのか、生きるために食べているのか。 どっちだ。 よく考えてみたまえ。 そんなことは自明の理ではないか。 

Y: (なんか、喋り方うぜー) そうですね。 食べるために生きるのでは、人間として生まれた意味がないですね。 「人間は考える葦である。たとえ宇宙が彼をおしつぶしても人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢を知っているからである。宇宙は何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある」 というパスカルの言葉を今思い出しました。

Aloha健: よ、よく分かっとるじゃないか、Y君。  そうだよ。 いろんなことを学び、知識を蓄え、それを体の中で熟成、昇華させ、放出することこそ人間だけに与えられた歓喜じゃないか。 

Y: (たまにドモるん、何なんや) 健さんは日々、いろんなことを学んでいるんですか? サーフィンばっかりしているんじゃないんですか? 

Aloha健: ま、ま、学んでるに決まってるじゃないか。 Y君。 サーフィンをしているときというのは、学んだ知識の絶好の熟成、昇華状態なんだよ。 

Y: へぇ〜、そんなに熟成させるほど日々知識を詰め込んでるんですか。 でも確かに大波のとき、波に乗っている時間より、体が動いてなくてあたかもボーっとしているかのような姿が多いときがありますね。 あのときに熟成させているんですね! なるほど!

Aloha健: (それは単に乗れてないときやろ) 日々詰め込んでる、詰め込んでる。 詰め込みすぎて鼻血が出そうなほどや。 ほな、鼻血が出る前に熟成、昇華させに波乗り行ってくるわー マハローさいならー! 

Y:  ( あかん、あれは詰め込まれてないな。)