2026年3月30日の対談



Y: 健さん、お久しぶりです。こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y: 今日の書籍紹介は、アランの『幸福論』です。「幸福は義務である」という考えについて掘り下げたいと思います。私はこの考えに賛成で、人は周囲に影響を与える存在なので、自分が不機嫌でいることは周りの人に悪影響を及ぼす。だからこそ「幸福であろう」と努めるのは一種の責任だと感じます。

Aloha健: おれは違和感があるなー。「幸福」が義務になると、窮屈に感じる。人は常に幸せでいられるわけじゃないし悲しみや落ち込みも自然な感情なのに、それを否定するように聞こえる。

Y: 確かに常に幸福でいるのは難しいですね。でもアランの言う「義務」は感情を強制するのではなく、「不幸に甘んじない姿勢」を指していると思います。つまり、今流行りの「自分の機嫌を自分で取る努力を怠らない」ということです。

Aloha健: でも、その「努力」がプレッシャーになる人もいるんちゃう? 人間関係で疲れているときに「幸せでいなければならない」と思うと、自分を責めてしまうこともあるかも。

Y: そこは誤解されやすいところですね。「幸福でなければならない」というよりも「不機嫌をまき散らさない配慮」と考えたほうがしっくりきます。周囲の人を不必要に巻き込まないためのマナー、と言い換えられるかもしれません。

Aloha健: なるほど「対人関係のマナー」としての幸福か。ただ、それでもおれは慎重であるべきだと思うなー。 人は弱るときもあるしその弱さを認め合うことも社会には必要。「幸福であれ」という圧力が、それを許さない空気を生む可能性もある。

Y: 確かに。だからこそこの考えは「他人に強いるもの」ではなく、「自分自身への戒め」として受け取る方がいいですね。自分がどう振る舞うかを問い続けるための言葉として。

Aloha健: その点なら同意できるな。もし「義務」という言葉を、自分を縛る鎖ではなく自分を整える指針として使えるなら有意義かもしれない。

Y: 結局のところ「幸福は義務である」という言葉は、他人を裁くためではなく自分の態度を見直すための哲学なんでしょうね。

Aloha健: 不機嫌は体に悪く、笑顔は健康に良いというのは医学的にも自明。 幸福でいるという義務のためには、おれは海に入る義務が必要やなー わはは! ほな波が呼んでるし、マハローさいならー!

Y: (フキハラという言葉もありますもんね)