2017年4月30日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y: 日本人はディスカッションが不得意、あるいは自分の意見を言う能力が低いなどと言われますが、どう思いますか。 

Aloha健: なんや、しょーもない。そんなん個人によりけりに決まってるやんか。

Y: 授業を聞いて理解して知識を暗記して・・・という従来の学び方では、アウトプットが苦手になると言われていますが。

Aloha健: それも個人によりけりや。 それに従来の学び方をやめるということは単純な話ではないぞ。 どうせジャーナリストや教育評論家は、今の時代には誰でも思考力が必要とか、まずは自分の意見を持つところからとか、詰込み教育をやめるべきとか、そういう単純なことを言うやろ。 しかし、そんなんに踊らされたらアホになるで。

Y: どういうことですか?

Aloha健: 例えば上手にディスカッションを行うために、あるいは自分の意見を言うために1000回の模範練習がいるとするやろ。確かに小学生のころからその能力の達成に向けて取り掛かり始めたら、3日に1回、年に100回したとして10年で到達する。しかし1000回は1000回のままや。結構な時間を幼少期から割いて、一生懸命やったからできるようになる、でももっと根本的なことを考えないとあかん。

Y: たとえば?

Aloha健: 数の並びみたいなもんで、1+2+3+・・・・100=5050というのを、どうやって早く行うかについて、一つは物凄い速さで計算機をたたく、又は暗算の達人みたいな人を雇う。しかしそんなんじゃあ100じゃなくて1000になったら10000になったらどうするの?ってことやん。計算機叩き過ぎて指にタコができても、そんなんアホやん。

Y: はぁ。

Aloha健: 要するにまずはその1000回という練習回数、あるいは計算の総回数を減らさなあかんのや。 語彙が身につくことによって1000回の模範練習を半分に減らすことができるとか、適した例を参照できる知識があって1回の練習の時間が短縮されるとか、そうやって練習回数を短縮したり有意義にするために、今授業を受けたり暗記したりしているんや。評論家が言うことは才能がある人がもっと才能を開花するための話であって、大多数の凡人はまずは従来通り土台をつくることから始めなあかん。それは女性の化粧と同じでやな、いくらいいファンデーションを使おうとしても、土台の肌がきれいじゃないとイマイチになるんや。 今日も俺っていいこと言うなぁー、あ、今日だけじゃなくいつもか! ほな波が俺を呼んでるし、波乗り行ってくるわー マハローさいならー

Y: (最後が余計や)