2011年5月30日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y: 台風も去り、久々の快晴。いい気候ですね。 春ももうすぐ終わりです。

Aloha健: そうやねー、 中2から知っている子が高校生になったのを考えると月日が流れるのは早いなと思うわ。 まぁ毎年、子どもの成長見ては同じこと思ってるけどな。 それにしても学生っていいよね、勉強して部活してって。 

Y: 健さんは学生時代、帰宅部ですよね?

Aloha健: そうそう、時間がなかったからな。 今考えれば部活もしたかったなー

Y: そうでしょうね。

Aloha健: 俺が学生の頃は子どもの数も多いし超競争社会っていう風潮やったからな。 今みたいにノビノビっていう空気はなかったし賢くならなければ、っていうムードやった。 小学生のときは地元に有名なおばちゃんがやってる厳しい塾があって、そこは塾に入るだけで3倍の競争率なんやけど、神戸西部の賢い子が集結してたよ。 量は小4から小6で、例えば算数だと自由自在、応用自在、5000題、あと電話帳って呼ばれてたやつをやったな。 宿題を忘れたら5000題で頭を叩かれてたけど、すごい痛かったのを覚えてるわ。 だから自分も受験で厳しい目にあってるし、社会人になって教えるほうに立場が変わっても、大体どれぐらいのレベルの問題をどれぐらい扱う、とか、このレベルの問題が解けたらどの学校に通るとか手に取るように分かる反面、やらされてる子どもの大変な気持ちもよく分かるわ。 

Y: すごい量ですね。 そのおばちゃん先生は教え方が上手だったんですか? 

Aloha健: いや・・・・今考えると、単に量をこなしていただけって思う節もある。 ただあまりにも怖いから統制がとれていたというか。 賢い子の集団だから、量を与えられてこなすことに特化してるだけでも、十分伸びるしね。 俺は夏休みとかの講習時期はH学園にも通っていたんだけど、H学園に通っている子達は例えば場合の数とかでも解法を使ってささっと解いていて、俺はおばちゃん先生からそんなん習ってなくてびっくりしたから、やっぱりおばちゃん先生は質より量だった気もするな。 

Y: へぇ・・・ じゃあ自分の子ども時代も受験受験、社会人になってからも仕事上、受験受験、で、健さんの人生は受験で溢れていますね。 

Aloha健: ・・・・・ 

Y: だってですよ?  健さん自身も厳しい受験を経験してきていて今も毎年受験があるなら、まさに受験の人生じゃないですか。 これは受験王といっても過言ではないですよ。 でも受験って本人も周りの人間も精神的に平常時よりは追い詰められるイベントですし、あんまり楽しそうな王ではないですね、だって・・・・ 

Aloha健: んーーーーーーーーーー ところがどっこい!!!!!! 根詰めて何かに努力した経験があるということは、その後の人生の大きな糧となるんや。 受験は努力する根性を鍛えるのには、いいタイミングのイベントなんだと信じてる。 それに、そういう精神論としてだけではなく、知力を高めるということは社会の発展にも役立つかもしれないことやで。 こんなに小さい島国の日本が、今世界有数の経済大国になっていることは、根底には受験制度が影響していると思うよ。 よく「受験なんて・・・」とか「勉強に何の意味があるの?」とかっていう問いがあるけど、もちろん他に何かやりたいことや能力があるなら別だけど、そうでない限り、勉強して勉強して少しでも社会に貢献できるような人物になる可能性を上げることは絶対に大切なことだと思う。   

Y: おー、まさに受験王な発言ですね。

Aloha健: ほな、波が俺を呼んでるし波乗り行ってくるわー マハローさいならー! 

Y: ( おーい、受験王ならサーフィンせずに勉強しろー)