2016年5月30日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y: 学生時代はよくいろんな場面で「自分の考えを述べなさい」「自分の意見を書きなさい」という出題がありますよね。適性試験などによくあるのですが、そういう問題をなぜ出題するのでしょうね。 

Aloha健: というと?

Y: それを書かされる側も採点する側も、両者が難しいことに挑むポーズだけを決めて、お互い目配せして落としどころを考えているかのように思えるのですが。

Aloha健: うーん、そうやなぁ。俺はよく分からんけど、まぁそういう問題は適当に書いておいたらいいんじゃないの? 当たり障りなく。

Y: そうそう。そうなりますよね。どれだけ従順な振りをする能力があるか、言い換えれば、どれだけバカな振りをできるか、ということを出題されていることになります。

Aloha健: だから、まとめサイトのごとく、適当にまとめといたらいいんよ。

Y: 少し違うのですが、「自分の考え」なんて、よくよく考えてみれば見当たらないものだ、ということに両者とも気づいてるかどうかが重要です。自分という人間が、どこかで読んだA,どこかで聞いたBなどを混ぜて、気に入る思想だけ残したものを「自分の考え」と呼んでいて、それは最初は人様の考えだったことを忘れて、そのダッシュA、ダッシュBのような内容を自分の考えなどというのは、実は浅はかで少し恥ずかしいことです。だから「自分の考えを述べなさい」という課題を目の前にして固まる人のほうが、実は自分の考えに忠実で賢い人ということになりますが、実際はサラサラサラっと自分の考えらしきものを無難にまとめる能力がある人が評価されます。

Aloha健: だからそういう問題は適当にまとめておけばいいんよ。 空気読んでね。まー俺が読めるのは波だけやけどな。ワッハッハー。それでは波乗り行ってくるわー マハローさいならー

Y: (ほんまに適当にまとめやがったな。)