2009年7月3日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y: 蒸し暑い日が続きますね。 でも最近は夜に雨が降って日中は晴れていることが多いので得している気分になります。 さて今日はお隣の土佐清水市について対談しようと思いますが、土佐清水といえば何を思い浮かべますか?

Aloha健: そりゃ、ジョン・マンや。 ジョイマンちゃうで! ジョン万次郎や。

Y: (誰もジョイマンとは間違わないんじゃ・・・) 確かにジョン万次郎さんの生誕の土地としても有名ですが、土佐清水には他にも一部が亜熱帯気候だったり、お遍路さんの札所があったり、漁師町としても有名ですし、東京からの時間距離が1番遠い地でもありますし、いろいろな特色がある町です。

Aloha健: いやーそれは当然分かってる! それに加えて、ジョン万まつりやジョン万ハウスがある町やで、土佐清水は。 まさにジョン万パラダイスや。

Y: (ジョン万、連発やな) えらくジョン万次郎さんを推しますね。 確かにジョン万次郎さんってとても稀有な人生を送っていますが、もしジョン万次郎さんがいなかったら、とか、もしペリーが黒船で来日していなかったら、など歴史の「もし」を考えるのは楽しいですね。

Aloha健: もしその人がいなかったらどうなっていたかを考えるとその人の重要さが分かるわな。 もしジョン・マンがアメリカに行っていなかったら、もしくはアメリカから帰ってきていなかったら日本の開国がかなり遅れたと考えられる。 それとジョン・マンに教えを受けた勝海舟、坂本龍馬、板垣退助、佐久間象山、吉田松陰、福澤諭吉など、人に対する影響力も計り知れないものがあるからきっと今の日本はかなり様子が違ったものになっているやろな。 

Y: そうですね。 万次郎さんは日本とアメリカの交流を強く望み、日本の大仰さとアメリカの明快さ、日本の確固とした封建制度と差別のないアメリカを対比させ、開国が自国日本にとって必要だと直感として得たのでしょう。 日本に帰ることが命を賭けたことだった時代に日本に帰ってきたのですから。 歴史に名を轟かす人は安全な場所ではなく崖っぷちで戦うことができる人ですね。  

Aloha健: おっ、いいことを言うね。 崖っぷちで戦うってなかなかできることやないよな。 ジョン・マンはアメリカで教育を受けた後、日本を開国させるべく帰ってくる。 そのためにゴールドラッシュで600ドル稼いだらしいね。 ほんますごいドラマチックな人生やな〜。 死にそうになったことなんか何十回もあったやろうな。 

Y:そりゃあ何十回も死にそうになったでしょう。 あたかもロビンソン・クルーソーのような生活を送ってますからね。 しかしながら華やかな人生というわけではなく、常にスパイ疑惑がつきまといましたし病気と鬱で暗澹たる晩年でした。 万次郎さんの人間愛とは「恩義を受けた人々に感謝し礼を尽くすこと。難儀をしている人々は助けねばならない」というものです。 本当に熱く温かい人です。 なんか・・・土佐清水の話をするはずが万次郎さんの話ばかりしてますね。 

Aloha健: ジョン・マンについて考えると、人の人生とは・・と深く考えるわけや。 土佐清水の貧しい漁師の家に生まれ小さいときから漁で働いていた人が暴風雨で漂流し無人島に辿りついた。 普通そこで人生は終わりと考えそうなものや。 しかしそこからの奇想天外な人生。 人間はどんな状況からでも希望があると教えられるんや。 わしは。 

Y: (わしって・・・アンタ誰やねん) そうですね。 万次郎さんは太平洋では果敢な人生を送ることができたのにもかかわらず、太平洋を離れることによって自分にふさわしい場所の確保が困難になりました。 それもあってかPacific Menと呼ばれています。 健さんも太平洋が見える場所に家を建て、太平洋に毎日プカプカ浮いているわけですから、ある意味Pacific Menですね。 

Aloha健: おー!!!! なんちゅう嬉しい言葉や! 最高やな〜!!!! 俺もジョン・マンと一緒でPacificMenかー! てことは名前変えなあかんな。 ジョン・ケンがいいかなぁ。 それともケン・マンかなぁ。 

Y: (ケン・マンはイマイチやろ) あの、「ある意味」って言ったんですけど聞こえてますか? 

Aloha健: んーーやっぱケン・マンやな! 本名は中浜万次郎やから、ジョンは関係ないしマンを入れんと! そやからケン・マンに決定や! ほな、Pacificの波が俺を呼んでるし波乗り行ってくるわー マハローさいならー! 

Y: (アホや)