2014年7月30日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y: 塾では夏期特訓が始まっているのですね。小学生から高校生まで学年がバラバラの人が集まり勉強するってどのような感じですか?  

Aloha健: そうやなぁ、学年で進度や範囲に区切りがないっていうのは、どんどん進めたい人は、スローペースの人に合わせる必要なく思うように進め、逆に周りの人より遅れている人は学年を遡って復習から始めていて、皆それぞれが目の前にあることを追っかけている感じかな。何度も言ったことがあるけど、塾の在り方は1学年最低5クラス以上、理想的には7クラスに能力別のクラス編成ができるなら、同学年の集団授業がベストだと思う。そして上の学年に進級することも可なら尚良い。それ以外なら、1クラス内での能力差が激しくなるからどこかに無理が生じてしまう。

Y: そうですか。昔は違う学年が一緒に勉強するのは普通だったみたいですけどね。

Aloha健: そうやね、同学年のなかで賢い側の子も、上級生には偉そうにできないっていうのは、「上には上がいる」という例が間近にあって、いい影響があるんじゃないかな。

Y: 有名な私塾といえば松下村塾や適塾があり、日本を背負う人達を多数輩出していますが、どこがよかったのでしょう?     

Aloha健: 適塾の人達は、およそ勉強ということについてはこれ以上しようがないというほどに各自しのぎを削って勉強してたわけで、勉強量が違うわな・・・。福沢諭吉の1日のスケジュールは夜ごはんの時に、もしお酒があればお酒を飲んで寝て、一寝して22時ごろ起き、夜明けまで書を読む、朝ごはんの飯炊きの音が聞こえてきたら寝て、朝ごはんが出来上がった頃に起き、朝風呂して朝ごはんを食べる、そしてまた書を夜の食事まで読むという生活や。福沢だけじゃなく緒方の塾生は皆この生活だったらしいよ。

Y: なぜそんなに勉強ばかり出来たのでしょうか。 

Aloha健: 長州藩の貧乏医者・大村益次郎も、中津の下級武士・福澤諭吉も適塾の先輩後輩で「蘭学」を学んでいる。二人はそりが合わなかったとされているけど、共通事項として言わずもがな幕末から明治という時勢に乗り、結果歴史に名を残した人物やん。 身分が高くない者が身分制を超えて立身するには学問を修めるほかない、との強い目的意識があったわけやな。 だからモチベーションの高さが尋常ではなく「死ぬほど勉強」の意気込みが現代とは違うのかもしれない。 土木工学の父・古市公威がフランス留学時代に「私が一日勉強を怠れば、日本の近代化は一日遅れる」と答えたというのは有名な話だけど、個人的な成功ではなく国家を背負って勉強をしていたからこそモチベーションが違うともいえる。 でも俺はここで考えたいけど、国の近代化について使命感を持って背負うような時代ではなくなった現代でも、規模の大小問わず各分野で功成り名を遂げた人たちは、ほぼ当然「死ぬほど勉強」した過去を持っているし、それに時代の差はないと思う。 人に勝る努力なくして結果が出ないことは、時代や分野が変われど一緒だし、それに自分自身が納得する明確な目標があって動機が保てるのも時代差なく一緒だと思うわ。 ほな俺も、緒方洪庵と同様に素晴らしい人材を育てるのにモチベーション高く臨むけど、ま、ま、まずは波が俺を呼んでるし、波乗り行ってくるわー マハローさいならー

Y: (緒方洪庵どころか、ただの困ったオッサンやんけ)