2017年7月30日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y: 夏本番ですね。ワクワクすることが目白押しです。

Aloha健: そうやね。俺のことを夏の波が呼んでるわ。

Y: (無視しとこ)学生だったら「青春の夏」ですね。夜に初めて友達だけで夏祭りに行ったりしますもん。

Aloha健: 俺は波が大事だけど、子どもにとっては友達との付き合いが何より大事やからね。

Y: (波の話ばっかりやな) そうです! まさにそれが今日の主題なんですが、やっぱりそうですよね?    

Aloha健: 子どもは子ども同士の付き合いで頭がいっぱいなもんやで。 仲間うちで目立つことや、認められること、疎外されないこと、話題についていくこと、できれば話題の中心にいること、それだけ考えたいんや。俺も海のなかで、いいライディングをすることだけを考えたいけど、それと一緒や。

Y: (波のたとえ話をするな)親の介入する余地はあまりありませんね。

Aloha健: 一応聞いているふりはするだろうけどね。親は友達環境を用意するだけやけど、極端な例だと「不良がかっこいい(真面目はダサい)」仲間うちにいるか、「秀才がかっこいい(アホはダサい)」仲間うちにいるのか、で子どもの目指す方向は決まる。何より重要視するのが友達に異端者扱いされないことなのだから。男女共学の高校に通うと女子は「ちょっと天然」のほうが可愛くモテるので理系女子になりにくいし、普通大学に居たら「変なやつ(−)」でも芸大にいれば「個性のあるやつ(+)」になる。逆に、変なやつだと自他ともに思っていたけど、もっと変なやつが世の中にはいることを知って、自分の変さが甘っちょろく感じられて変ではなくなったり、周りにいる友達でその個性が伸びるか摘まれるかが決まるわけやん。昔は「親が手をかけて子どもを天才秀才に育てることができる」という風潮が強かったけど、今は「親より友達(環境)次第」らしいからね。 

Y: 親が進学校に入れさせても、その学校では少数派の不良が友達になるかもしれませんよね。

Aloha健: そうそう、波が友達の俺みたいなんもいるしな、がははは。中学受験か高校受験か大学受験かによって違うけど、ちょうど子供の何かが開花するタイミングに、うまくそれに追い風になる友達関係があればいいということは一緒だけど、友達関係を開拓するのは子ども本人で親は無力だから。 ほな波が俺を呼んでるし、波乗り行ってくるわー マハローさいならー

Y: (そんなに波が好きなら、名前を波平に改名したらどうや)