2010年8月30日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!久しぶりやね!

Y: 1ヶ月ぶりです。 さっきたまたま見たんですが、最近、社内公用語英語化にする会社が増えているそうですね。 反対意見も多いそうですが。  

Aloha健: 英語が母国語の人は、他言語が母国語の人より生まれながらにして優位だよね。 こういうことを考えると、言語の力って大きいなぁ。

Y: そうですね。 言語の力っていうと、もちろん英語云々母国語云々の話もありますが、そもそも言語の使用って深く考えると偉大なことです。 それは大きな特徴として「今」と「ここ」に縛られていないということがあると思います。

Aloha健: そういえばそうやね。 過去のことでも、これから起こるであろう未来についてでも、あるいは現在目の前にないことですら、自由に語ることができるんやもんね。 この能力って人間を物理的なことから解放して、創造の世界にいることを可能にしてくれる能力や。 うーむ、そう考えると偉大やなー! うひょー、い・だ・い (はーと)!

Y: (なんかキモいな・・・) よく、日本語は英語と比較して人間関係を重要としていると言われます。 英語ではHe gave it to me.もI gave it to him.も同じgiveという動詞を使いますが、日本語文化では「あの人が私にくれた」「私があの人にあげた」と別の表現を使うということにも顕著に人間関係を重用視する姿勢がでていますよね。

Aloha健: そうやね。 でも英語にも微妙なニュアンスがあって、例えば日本では不定詞と動名詞は言い換え可能というように習うけど、ちょっと包含されている意味が違うよね。 

Y: 例えば? 

Aloha健:  有名な話だけど、I like swimming.とI like to swim.は日本語に訳すとどちらも「泳ぎが好きだ」と言ってるように見えるけど、実は微妙な差がある。 前者は泳ぐことが好きであると自分の好みを言っているのに対して、後者は泳ぎたいと言っている感じがするよね。

Y: なるほど、そういう意味ですか。 確かに前者はnowを続けてI like swimming now.とするのは解釈ができないこともないけど少し不自然で、後者をI like to swim now.と言うのは全く問題がないですもんね。 不定詞のtoは前置詞のtoと一緒ですから、方向の意味が加わって未来志向になるのですね。

Aloha健: そうそう! 前置詞が果たす役割って、日本人が英語を習うときは軽視されてるよね。 例えばJohn cleared snow from the road.とJohn cleared the road of snow.は概略は同じことを言っていて、ともにジョンが雪かきをしたということを述べてるやん。 でも、前者の意味合いはジョンが雪かきをしたという行為に焦点が当たっていて、その結果雪が完全になくなったのかどうかは不明なのに対して、後者は雪かきの結果に焦点が当たっていて、雪がなくなったと理解できるもんね。 つまり空間的に前者は部分的で、後者は全体的やし、時間的には前者は未完了で、後者は完了を伝えているということになる。 英語の前置詞のほとんどが、空間と時間の両方を表してるんやね。 

Y: 珍しく、「海」の話がなく一般論を述べてますね。 何か悩み事でもあるのですか? 

Aloha健: ないわー!!! 失礼な!ほな、波が俺を呼んでるし波乗り行ってくるわー マハローさいならー! 

Y: (夏バテか?)