2014年8月30日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!おっはー!

Y: 夏も終わりに近づいてきましたけど、今年もサーフィン楽しかったですか?

Aloha健: モチのロン、あたり前田のクラッカーや。

Y: (無視しとこ) とても熱心ですが、なにか目的があって続けているのですか?

Aloha健: そんなバナナ!ただ単に好きなだけで目的はないよ! もしも熱心にしているスポーツの種目がサーフィンではなくジョギングだったとして「私は毎日30分ほど健康維持のために皇居の周りを走っています」と言えば、体調管理までできている有能ビジネスマンのようだけど、「俺は毎日30分、いい波がある海でサーフィンをしています」と言えば、どうも浮ついた空気が流れるよね。 ジョギングよりハードなスポーツをしているのにも関わらず。

Y: まぁ理解がないほうが競技人口も少なく、海が混まないし利点もあると思いますよ。

Aloha健: ガビーン!ナイスな視点!俺はサーフィンはやれる限りずっと続けたいと思っていて、海には還暦過ぎためちゃ渋のサーファーがいるけど、そういう年のとり方をしたい。外見上の若さは失われてしまっても心の若さは保ちたいんよね。今の日本はアメリカに右へ倣えで、露骨に「若さ>老い」というような空気感がある。一方で、歳をとって味が出る、しわしわのおばあちゃんになってこそ一流、というのが欧州の基準だけど、俺はそっちのほうが好きだし、自分が老いた時代に「若さ>老い」が加速していたら誰しも嫌だよね。それには自分も率先して「年をとるのも悪くない」と若年者に思ってもらえるよう行動していかなあかん。難しいだろうけど。

Y: 確かに若さしかアピールできなかったら、その後は困りますね。 

Aloha健: そうそう、その後は余裕のよっちゃんとはいかんなぁ。無条件で若さに価値があるのは事実であり万人が経験する。それが青春であり、思う存分謳歌すればよい。でもそのキラキラにいつまでもしがみつくのではなく、決別もいるよね。そういうことって誰も教えてくれないけど。 人生は若くない時期の方が圧倒的に長く、年をとる度に目に見えて衰えていく様々な状態に対峙して進んでいかないといけない。若者達に、青春や若さもいいけど、熟した大人には若年者には敵わない魅力があると認識してもらえる社会にするにはどういうことが必要なのだろう? まぁそんなことを考えながら、 ほな、波が俺を呼んでるし、波乗り行ってくるわー マハローバイビー!

Y: (まずは死語を使う自分に決別したほうがいいんとちゃうか)