2009年9月3日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y: こんにちは! 近頃、少しずつ秋っぽくなってきましたね。 サーフィンの季節到来です。

Aloha健: しかし今年も去年と同様、台風が少ないね。 災害が少なくていいんやけど、ソウルフルサーファー健としては物足りんな〜。

Y: ・・・・。 台風への気持ちが一方通行ということですね。 自然ですから当然です。 では今日は人間同士のコミュニケーションの疎通について考えてみましょう。 移住して1年3ヶ月、地域の方との触れあいも増えてきましたが、未だ幡多弁で早口で喋っている言葉は聞き取れないことが多々あります。 健さんはどうですか?

Aloha健: そやね〜。 大体聞き取れるけどね。 まあ、まだ喋れはしないけど。 コミュニケーションについてやけど、お互いに共通な興味や価値観があれば、コミュニケーションはとても取りやすいと感じるね。

Y: 意気投合できますからね。 その共通な興味や価値観でのコミュニケーションの取り易さは、その話題を話すときのテンションの高さや意気込みが同じだからです。 先ほど幡多弁の聞き取れなさについて言及しましたけど、実はコミュニケーションにおいて「言葉」が占める割合は非常に少ないらしいです。 だから聞き取れなくても、まぁそんなに問題はないのです。 コミュニケーション能力さえ持っていればの話ですけど。

Aloha健: コミュニケーション能力が高い人と低い人の違いは何やろね。 

Y: それは身体言語を上手く使えるかだと思います。 顔の表情や身振り手振り、動作や姿、頷き方などです。 ボディランゲージというやつですね。 キネシクスともいいます。 例えば、私の友人から聞いた話ですが、その友人は長い間アメリカに留学していました。 友人の元へ日本の友達が遊びに行きます。 そのとき英語を駆使できているのは、英語の学力が高い人ではなく、コミュニケーション能力が高く、ボディランゲージを多用し喋ることが出来る人らしいです。 もちろん最低限の英単語などは必要でしょうが、結局、コミュニケーション能力は国境を越えるほどの能力だというわけです。  

Aloha健: そういえば、僕の友達で英語がほとんど喋れないのに、外人の女の子とつきあってる奴おるわ。 そいつは昔からコミュニケーション能力が高かったな。 身体言語か〜。 俺もいろいろ意識してみるわ。 

Y: 例えば「好き」という意思表示について、人に「好きだよ」と告白された場合でも、「好きだよ」という言葉だけで相手が自分を本当に好きだと受け止め信じられる人はあまりいません。 マレービアンの公式によると、相手が自分を好きなのか嫌いなのかを判断するために、言葉の中身を判断材料とする割合は7%だそうです。 口で好きだと言ってるから私を好きなのは確かだと判断することは少ないのです。 そして声色や抑揚、声の大きさやアクセントなど喋り方に関する表現方法での判断が38%で、残りの55%は相手の身振りや手振り、表情、姿勢、眼差しなど、言葉とは全然関係ない部分でその人の言葉の信憑性を判断するらしいです。 つまり言葉の中身以外での判断が、判断材料の93%を占めるというわけです。 口で嫌いだと言ってるけど実は好きに違いないなどと判断することがあるのもこのような判断材料を使っているからなのでしょう。

Aloha健:  人を信じられるかどうかは、言葉ではなく話し方の抑揚や眼差し、表情で判断するしかないもんね。 言葉は丁寧でも心がこもっていない店員とかすぐ分かるもんね。

Y: そうですし、逆もありますよね。 心が本当はこもっているだろうけども、表情や身振り手振りへの表現方法が下手で損するタイプが。 まぁ誰とは言いませんけど。 

Aloha健:  ん? なんで教えてくれへんのや。 まぁいいか! ほな、波が俺を呼んでるし波乗り行ってくるわー マハローさいならー!

Y: (鈍いのも、コミュニケーションの弊害になり得るなぁ・・・)