2013年9月30日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y:  今日は「褒めること」について話に来ました。 

Aloha健: 褒めること? 褒め育てがいい、とかそういうことちゃうやろな?

Y: 違います。 「褒める」という言動の難しさについてです。

Aloha健: うーん、俺、あんまりそういうのを深く考えるの苦手なんよね。 まぁ自分で分かっていることは、俺は無理やり褒めると顔が引きつるから、本心のときしか言わないことに割り切って、そう決めてからは難しさについては感じないけども・・・。

Y: いやいや、そんな話ではなくてですね。 例えば、運動神経や学歴や、実業家で成功している等は客観的事実なので、大部分の人にとって褒めることは容易いことでしょう。 しかし視認できないことは別です。 非常に難しいことだと思います。

Aloha健: あ、そういうことね。 なんか難しそうやし俺はお手上げや。 例を出して説明してみて。  

Y: 例えば、年長者が若輩者に使いそうな「おー、それは大したもんだ」という褒め方はどうですか? 少し尊大に構えている印象を持ちませんか。 なぜ「おー!それはすごい!」と言わないのでしょう。 あるいは若者が使いそうな「(あの映画、)泣けたわー」は、これも映画自体を褒めてはいるのですが、傲慢な印象はないですか。 「(あの映画、)泣いたわー」でいいですよね。 だから人や物事を褒めているようでいて、これらの言葉の裏には「僕はあなたを『大したもんだ』と褒められる大した人物だ」、「(そんじょそこらの人間とはちょっと違う)この私が『泣けた』のよ」といった意味が含まれていることになりますよね。 

Aloha健: あはははは! Y君、生きるのしんどいだろうね! 少し違うかもしれないけど、俺も「根はいい奴だ」という褒め方には違和感を感じるよ。 裏返せば「根以外はダメだ、腐っている」と堂々と言っているのに、なぜか言っている本人は褒め言葉のように使っていることがある。 大体、話の流れが「アイツは○○もできない」「××のようなこともする」・・・「しかし、根はいい奴だ」という感じで、これはもうその言っている本人が、「自分は相手を肯定する度量がある人間だ」と言いたいだけのように聞こえる。

Y: そうそう、そのようなことが起こりうるから、褒めるということは難しいと言いたかったのです。 人にとって自分以外の人や物事を心底認めることは、なかなか難しいのかもしれませんね。 他人に面と向かって「生きるのしんどいだろうね、がはははは」と笑う人が、主旨を分かってくれたようで微妙な気分ですが、そんな失礼極まりない健さんは何を褒められたら嬉しいのですか?

Aloha健: そんなこと決まってるやろ! 「サーフィン、上手いですね!」や!!!ヒュー!  じゃあそう言われるために今日も波が俺を呼んでるし、波乗り行ってくるわー マハローさいならー! 

Y: (やっぱりな)