2009年10月13日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y: 少し前、芸能人の薬物汚染で話題騒然でしたね。 健さんはどう思いました?

Aloha健: そうやなぁ〜。 犯罪系はなぁ〜。 簡単に言ったら、的を外してしまったことが見つかった、みたいなことじゃないかなぁ。

Y: はぁ。 どういう意味でしょうか?

Aloha健: 例えばいつも朝サーフィンを一緒にしてるローカルサーファーとのりピーのことについて話してたとき、「僕ら、のりピーどころじゃないっすよね。 毎日毎日サーフィンして・・・」と言っていたけれど、何かに依存したり中毒になったりする、その「何か」をサーフィンにするのか麻薬にするのか、的を外してしまったら犯罪になるんやと思うんよ。 サーフィン中毒もサーフィン中毒じゃない人から見たらやばいやろうし、仕事を辞めて海の近くに引っ越す人もいるぐらいやから結構な中毒よ。 まぁ誰とは言わんけどな! アディクションの入り口に立って何に進んでしまったかという差なんとちゃうかなー 

Y: まぁそういう見方もできるかもしれないですけども・・・ 確かにサーフィン中毒にしても麻薬中毒にしても依存の対象物の差なのかもしれません。 でも私はサーフィン中毒の人は己が大きくなってるような気がしますが、麻薬中毒の人は単に利己的なのではなく己が小さくなってると思いますね。

Aloha健: (なんかよく分からない話になってきたぞ) ふむふむ、そういう面もあるかもね。 

Y: しかし健さんのおっしゃってることもよく分かります。 金銭欲や麻薬や幸福やもちろんサーフィンなど、人間の欲望を引き起こすことは経験的な原因があって進んでしまう傾向性ですよね。 傾向性にしたがう行動に自由はないとカントは言っています。 そういうことから考えると健さんがおっしゃる何の依存に進んでしまったか、という紙一重に見える道の選択の差は、何に進むかを自由に選べないという点において、まさにちょっと的を外してしまったというだけの結果かもしれません。 

Aloha健: (何言うてるかさっぱり分からんけど同意しとこ) そうやろ! それを言いたかったんや! 気が合うの〜 

Y:ただ節度というものはありますよね。 麻薬中毒に節度はありません。 サーフィン中毒にしても節度なく仕事を放棄して中毒になっていいのか、というと法には触れませんが問題はあります。 養っている家族がいる場合などは重大問題になりますし。 節度というのは無駄なリスクやトラブルを避けることだと思います。 そして必要なときに自分を最大限発揮できるようにグググと様子を伺い、行動をセーブすることです。 そういうのはいくら波がよくても必要なことですね。 

Aloha健: そうやね。 俺も仕事優先でしかサーフィンしないし、のりピーどころじゃない中毒かもしれんけど健ピーにはなってないで。 

Y: (意味、わからんわ) 奥様から健ピーと呼ばれているんじゃないんですか? 風の噂で聞きましたけど。 

Aloha健: 健ピーちゃうわ! 「けんぴ」や! しかものりピーとは関係ないで! まぁ気が狂ってるっぽい人が犯罪者とは限らんし、ましてや偉大な芸術家だったりするわけやし、犯罪者とそれ以外の人を分けるものは、そこに愛があるかどうかやと俺は思うね! 

Y: (おー 武田鉄也みたいな発言やな) ・・・熱いですね、けんぴさん。

Aloha健: そういうこっちゃ! ちなみにけんぴは芋けんぴが好き過ぎてついたあだ名やからな!!! ほな、波が俺を呼んでるし波乗り行ってくるわー マハローさいならー! 

Y: (あだなの由来は芋けんぴなんか。どんだけ好きやねん)