2009年11月23日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y:いよいよ寒くなってきましたね。 今日は温かいですけど、朝晩は本当に冷えます。 サーフィンしていて寒くないですか? 

Aloha健: 寒いなぁ。 でも日本海でサーフィンしていた頃と比べれば、全然問題なしの範囲やけどな。 雪で埋め尽くされた砂浜を歩いて海に入ってたからなー。

Y: (もはや、オカルトのようやな) よくやりますね。 凍えるほど寒いサーフィンを私も経験したことがありますけど、もう女性ということを忘れて、着替えのときにいろいろ気を回すことができず、すごい姿になって着替えてしまいますね。 着替え場所なんか設置されていませんし、人目構わず、とりあえずウェットをいかに早く脱ぐかということだけを考えて行動してしまいます。 でも女性のたしなみは必要ですよね。

Aloha健: 本気で凍えそうなときはしょうがないけどね。 

Y: 最近は電車のなかでメイクしたりする女性も増え、恥じらいというものがなくなってきている傾向があるそうです。

Aloha健:そうやなー。 男性は本性むき出しになっても、普段とそこまで変わりがないけど、女性が本性丸出しになると何かギャップを感じるんやろな。  

Y:  でも女性も動物です。 だからただ単に男性が女性に対して幻想を抱いているだけなんですけどね。 世の中の恋人ができたことがない独身男子は、女性の家でのぐうだら姿を見たら、興ざめしてしまうと思います。

Aloha健: 兄弟に姉や妹がいたらギャップは少なくて済むやろうけど、男兄弟のみやったらビックリするやろな。 よく「結婚したら女は変わる」というけれど、変わるわけじゃなく現実の姿が見えてくるだけなんやろけど。 

Y: 太宰治の『女人訓戒』に、こんな文があります。「なんにでもなれるのである。北方の灯台守の細君が、灯台に打ち当って死ぬかもめの羽毛でもって、小さい白いチョッキを作り、貞淑な可愛い細君であったのに、そのチョッキを着物の下に着込んでから、急に落ち着きを失い、その性格に卑しい浮遊性を帯び、・・・(略)・・・この細君も、みずからすすんで、かなしい鴎の化身となってしまったのであろう。なんとも悲惨のことである。日本でも、むかしから猫が老婆に化けて、お家騒動を起す例が、二、三にとどまらず語り伝えられている。けれども、あれもまた、考えてみると、猫が老婆に化けたのでは無く老婆が狂って猫に化けてしまったのにちがいない。・・・(略)・・・女性の細胞は、全く容易に、動物のそれに化することが、できるものなのである。話が、だんだん陰鬱になって、いやであるが、私はこのごろ人魚というものの、実在性について深く考えているのである。人魚は、古来かならず女性である。男の人魚というものは、未だその出現のことを聞かない。かならず、女性に限るようである。ここに解決のヒントがある。私は、こうでは無いかと思う。一夜彼女が非常に巨大の無気味の魚を、たしなみを忘れて食い尽し、あとでなんだかその魚の姿が心に残る。女性の心に深く残るということは、すなわちそろそろ、肉体の細胞の変化がはじまっている証拠なのである。たちまち加速度を以て、胸焼きこげるほどに海辺を恋い、足袋はだしで家を飛び出しざぶざぶ海中へ突入する。脚にぶつぶつ鱗が生じて、からだをくねらせ二掻き、三掻き、かなしや、その身は奇しき人魚。そんな順序では無かろうかと思う。女は天性、その肉体の脂肪によりよく浮いて、水泳にたくみの物であるという。 」 この文章の言わんとすることは、女性はたしなみを忘れるな!です。

Aloha健: (長い引用やな) そうやねー。女性にたしなみは持っててほしいもんやね。 でも幻想を抱いている男性からすると、化け物のように変化するのが女性なのかもしれないね。 おーーコワ! 

Y: ・・・・。  

Aloha健: なんで無言やねん!! 怖いやないかー!! ほな、怖いし、波が俺を呼んでるし、波乗り行ってくるわー マハローさいならー! おーコワ! 

Y: (ふっふっふー)