2011年11月30日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y: いよいよ今年もあと1ヶ月になりました。 次に対談するときは年の暮れになりますが、今年何かやり残したことが思い当たるならば今からしていかなければならないですね。

Aloha健: そうやなぁ。 いろいろと日々の業務がたくさんあってな、しかもイレギュラーなことも飛び込んでくるしな。 でも今、調べて参考にしたいと考えていることは、アメリカのホームスクール事情やな。

Y: ホームスクールって自宅が学校ってことですか?

Aloha健:  そうそう、学校へ通わずに、自宅で、親が子供に勉強を教えるのがホームスクール。 親が自分の手で子供の教育をしたり、数人の親が協力をしてグループのような形式をとることもある。 例えばそれぞれの親の得意分野を担当制にして、教えるとかね。 対象となる子供たちは、幼児から高校生までで、自主的に学力テストを受けることによって進級していくわけ。

Y: へぇ、それって日本では無理なことですけど、興味深いですね。 頭が飛びぬけてよい子、親が芸術家で勉強より芸術の指導に重きを置きたい人、イジメなどで不登校の生徒、宗教教育をしたい人にいいでしょうね。 もちろん協調性などは学校に通う場合と違って育みにくいとは思いますが、もともとそういった協調性のなさが既に因子としてありそうな種類の子どもがホームスクールを選択しそうだし、わざわざ自分を押し殺して協調性を育むよりいいかもしれませんね。

Aloha健: うん、頭が飛び抜けて優秀な子も、学校の授業時間を退屈に過ごしたりする無駄がなくなるし、バイオリンの指導に半日使いたい親子はそれを選択できる。 日本では平日の昼間は子どもが学校に行っていて外にはいないから、不登校の子どもは家に篭るしかなくなるけれど、子どもが平日昼間に外にいててもヘンではない環境なら、そんな不自由もなくていいよね。 よく、10歳の子が大学入学したとか聞くのは、たいていこの制度を使って高校卒業資格を取っていて、学校でももちろん飛び級ができるけど、実際は年齢差のある子供を同じクラスにいれると、いじめにあったりというケースがあるやろうから、この制度が役立つわけや。 あと、宗教上の教育問題を抱える家庭にも需要があるだろうね。 だって公立では宗教教育は禁じられているし。 

Y:ここで問題として日本人が挙げそうなのは、その教育の質についてですが、そのへんはどうですか?  

Aloha健: 全国一律、画一的な教育で育った日本人にとっては「親が教えるだけなんて」と思いそうやけど、エジソンは学校へ行かず、母親の指導だけを受けた後、自学自習で数々の発明をしたわけやし、そういう多様性を許容するアメリカ社会の伝統なんやろうな。 もちろんホームスクールに特化した個別塾みたいなのや教材、実験だけを取り扱うクラス、ネットを駆使した授業とか、そりゃいっぱい選択はできる社会態勢になってる。 

Y: いいですね。

Aloha健: そうやろ? 例えば天気がよければ、数学をやめて公園で身体を動かす「体育」の時間にしたり、前日の晩に音楽番組を見た影響でギターを練習したいと思えば「音楽」の授業にするわけや。 そうやって子どもの本能に応えながら、授業を組んでいく。 もちろんホームスクールを選択するということは親自身の生活にも多大な影響があるわけで、仕事をホームオフィスに切り替えたり、社会の一員というより私生活の充実に重点を置いた働き方が求められるしな。 

Y: ふーむ、なるほど。 で、健さんは、そのホームスクールでの学び方や教材、そういったものに興味があるわけですね。 

Aloha健: そうそう!!! よく気づいたな! だってそれって俺が今したい教育と少しかぶってるやん! しかも、もしも自分に子どもがいたらジェネラリストよりスペシャリストになってほしいと思うやろうしね。 それにしてもよく分かったなぁ、感心するわ、Yさんの推理力には! 

Y: (誰だって気づくやろ) 

Aloha健: ほな、波が俺を呼んでるし波乗り行ってくるわー マハローさいならー!

Y: アメリカがやっぱり好きやなぁ