2015年11月30日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y: 今年も残すところ1カ月となりました。 ところで健さんは日々幸福だと感じて生活していますか?

Aloha健: そりゃ毎日サーフィンできる環境で生きてるんやから幸福度はかなり高いやろ!

Y: 冬なのに毎日海に入るなんて頭がおかし・・・おっと失礼しました。

Aloha健: まぁ犬が散歩に行きたがるのと同じようなもんで、寒いからとか雨だから、とかあまり関係ないんよ、日課だから。 

Y: (海の話は、いらん)なぜ幸福度についてお聞きしたかといいますと、広く言われているように日本人はあまり幸福だと感じていないというランキングがありますよね。日本は気候が良く四季があり、豊かな自然に囲まれています。命の危険を感じることも少なく、銃社会でもないので治安はよく、都心の繁華街でも夜女性一人で安心して歩ける珍しい国です。それに、平均寿命や所得なども世界のトップクラス。しかし先進国のなかで幸福度は最下位で、人々はあまり自分の人生を幸福だと思っていないようですね。

Aloha健: まぁ日本人は「幸福だ!」と胸を張って断言する気質の人が少ないのかもしれないけど、「他国家の人より不幸だ!」と思っている人が多くいるわけではないと思うから悲観する問題じゃないと思うけどな。

Y:  しかしなぜ「幸福だ!」と考える人が少ないのでしょう? アドラー心理学では、人は共同体の中で自分の存在価値を感じ続けるために生きると分析されていますが、他国と比較して日本は安全・安心で身の危険が少ないので、より一層人々の悩みの種は共同体、つまり対人関係のなかに色濃く依存しているのでは、と思うのですが。

Aloha健: 他人からの評価や発言に心のなかを大きく支配されると、幸福度が低くなるのは間違いないやろうな。人間は生まれて少し経って学生という身分になり、その間は試験の成績が良ければ評価されやすい。けれど社会に出た後はそうではないから、そこで今までとは違うのに「違う」ことが分からず評価されることを待ち続けたり、評価されないと不安の念に苛まれてしまう。しかし学校と違って、社会は努力したら必ず報われるとか、優れていると必ず評価されるという分かりやすいところではない。だから他人から評価されることには期待せず、自分の生活をコツコツ送り、たまに評価されたら「今日はツイてたな」と過小評価するに留めておくのが幸福感を感じやすい生き方だと思う。最近の若者を見ていて感じるのは、自分に自信があるタイプではなく、能力は人並み以上にあるのになぜか自己評価や目標が低い、もしくは目標のない人がいて、そういう人は高望みをしないから無理が生じないし、自分の現実の姿との落差も生じないし、「こうあるべき」という枠も持たないし、幸福度が高そうに見えるな。ほな、そろそろ海に幸福感を貰いにいかな!波が俺を呼んでるし波乗り行ってくるわー マハローさいならー!

Y: (あの人の幸福度は波次第やな)