2013年12月30日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y: もう2013年も終わりますね。今年1年を振り返っていかがですか。

Aloha健: 前半は例年通りだったけど、後半の8月から10月ぐらいは近くの海が荒れまくってクローズのことが多くて気軽にサーフィンできなかった、かと思いきや11月ぐらいからは波がパタッとなくなり、フラットで湖状態が多く、またまた近くの海でサーフィンできなかった。 だから結局、8月からは近くの海で楽しめる機会が、例年に比べてかなり少なく、めぐりが悪かったわ。

Y: (波の振り返りは、いらんがな) そうですか。 それは健さんにとって気分転換が上手く取り入れられず大変でしたね。  

Aloha健: そうや、そうや、そうやねん!そんなんで鬱憤がたまってしまって、生徒に八つ当たりでもしてしまったら、どないすんねん!!!

Y: (問題に決まっとるやろ) 健さん・・・大人なんですから、当然自分で鬱憤を処理し、八つ当たりなどしないような精神状態を保つしかない、に答えは決まっているでしょう? 何を言ってるんですか。 信じられませんね、教育者として。  

Aloha健: いやいや、まぁさすがに冗談だけど・・・でもそんな杓子定規な常識一辺倒の教育ママ(パパ)みたいな主張をしても意味がないよ。 例えば親子間でも、虫の居所が悪かったり、体調の変化があったり、そういった環境の変化をどんぶらこっこ〜どんぶらこっこ〜と揺らされながら、子どもは成長していくもんやん。 正論好きな教育ママって純粋培養が好きで、「勉強しなさい」「宿題したの?」ばっかり機械のように言っていて、子どもを管理し、親の既成概念を押し付けるヒステリーなガミガミオババといういイメージが根強い。その「いわゆる」教育ママだと、子どもの自由意志空間を狭めてしまう気がするけど、「本当の」教育ママは子どもが伸びようとしている空間(可能性)を広げてあげる努力をする人格だと思うよ。 その環境を作ることが愛情をかけてあげているということだし、更にあともう一つ、親自身も勉強しているか、もしくは子どもと同じ勉強を一緒に進行するのでもいいのだけど、口先の「勉強しなさい」という命令だけでなく親自身も勉強しているという事実が本当の「教育」ママにはあると思う。例えば、子どもに「賞金を稼ぐ天才ゴルファーになれ!」と命令し、子どもをゴルフスクールに通わせ、親である自分はゴルフの経験もなく現在もしていないという親子がいたとして、誰もが「そんな野望、上手くいくはずないやん!」と、思うやろ?それと一緒やと思うわ。    

Y:  まぁケースバイケースだとは思いますが、教育ママにもタイプがあるということは分かりました。 健さんの言う「本当の」教育ママなら、子どもも幸せですね。

Aloha健: 「塾」「受験」という文言は教育ママがすること、みたいなイメージが先行したりすることもあるようだけど、その「教育ママ」とは、実際は「いわゆる」教育ママである割合は低く、「本当」の教育ママの方が多い。また、進学塾や進学校に通っている生徒は嫌々勉強して賢くなったわけではなく本能で「もっと賢くなりたい」と思うから学び続けていることが多い。つまり世間のイメージとは違い、実情は「本当の」教育ママから、ちゃんと本能で学ぶ子どもが育っている、という単なる事実があるだけだと思う。 それに「いわゆる」教育ママの子どもは無理が生じているから途中で脱線するっていう背景もあるし・・・。 ほな、この話をしてたらナンボでも続くから、このあたりで切り上げて、波が俺を呼んでるし波乗り行ってくるわー マハローさいならー!

Y: 今年1年ありがとうございました。 みなさま、よいお年を。