2018年12月30日の対談



Y: 健さん、こんにちは。 

Aloha健:  Aloha!

Y: 今年も終わりです。 お正月の準備はしていますか? 

Aloha健: もちろん何もできてないよ。 お節料理をネットでポチしたぐらいやわ。

Y: 年末年始に因んだ風習が日本にはたくさんあり、例えば紅白をみて除夜の鐘を聞き初日の出を拝みお節を食べるなど、どれも昭和の時代には当たり前だったものですけど、だんだん失われている風習もなかにはありますね。

Aloha健: 日本以外の国では初日の出は有難がらないし三が日休む国はほぼないっていうよな。それよりクリスマスや大晦日や旧暦の正月の方が大事。一年の計は元旦にありと考える日本の文化を大切にしたいと思うよね。

Y: 健さんは年賀状は出しますか?

Aloha健: 年賀状は毎年出してないわ。

Y: では少し長くなりますけど、これを読んで懐かしい郷愁に誘われてみてください。「郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢやの存在である。局員はあわただしげにスタンプを捺し、人人は窓口に群がつてゐる。わけても貧しい女工の群が、日給の貯金通帳を手にしながら、窓口に列をつくつて押し合ってゐる。或る人人は為替を組み入れ、或る人人は遠国への、かなしい電報を打たうとしてゐる。 いつも急がしく、あわただしく、群衆によつてもまれてゐる、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに来て手紙を書き、そこに来て人生の郷愁を見るのが好きだ。田舎の粗野な老婦が居て、側の人にたのみ、手紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村の郷里で、孤独に暮してゐる娘の許へ、秋の袷(あわせ)や襦袢(じゆばん)やを、小包で送つたといふ通知である。  郵便局! 私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いてゐる若い女よ! 鉛筆の心も折れ、文字も涙によごれて乱れてゐる。何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。我我もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活(ライフ)の港港を漂泊してゐる。永遠に、永遠に、我我の家なき魂は凍えてゐるのだ。  郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢやだ。」萩原朔太郎『郵便局』

Aloha健: 俺も最近はノスタルジアをしみじみと感じるようになってきたな。明日は紅白を見てどっぷりとひたり、明後日からはまた今を生きることとしよう。 ほな今日も波が俺を呼んでるし波乗り行ってくるわー マハローさいならー!

Y: 今年も大変お世話になりました。よいお年をお迎えください。来年もよろしくお願いします。