2020年6月30日の対談



Y: 健さん、お久しぶりです。こんにちは。 

Aloha健:  Aloha! 

Y: この対談が今回からリニューアルするということを聞きました。 

Aloha健: そうや!今回は記念すべき第145回でちょうどいいから、今回から対談の趣旨を変えることにしたわ。

Y: (145回って中途半端やな)

Aloha健: 今まで特に何も考えずテキトーにお題を決めてきたけど、これからは毎回1冊の本を紹介して、その本から得た「子育て」「家族」などのテーマを掘り下げていくというスタイルにするわ。

Y: (テキトーって)

Aloha健: 俺は過去の対談を読み返すことはないので、フジテレビ「笑っていいとも!」の最終回にタモさんが「以前の私の姿を見るのが大嫌いでしてね。気持ち悪い。濡れたしめじ みたいな感じ。嫌〜な、ヌメッとしたような感じで、いまだに自分の番組は観ません」と言ってたのと全く同じで気持ち悪いので、過去の考えと今の考えが違うどころか今朝の考えと寝る時の考えで違うことも多々あって、まさに朝令暮改やから、意見に一貫性はあんまりないけど堪忍してや。

Y: はい、では今回はもうスペースが少ないので、手短にお願いします。

Aloha健: 今回は何年か前に売れた、岸見一郎『嫌われる勇気』から「もしも子どもが『プロサーファーになりたいから勉強はしない』と言ってきたらどうするか」について考えたいと思う。

Y: プロサーファーじゃなくて、アイドルでも芸術家でも、そこは何でもいいですね。

Aloha健: もちろん、そうや。本の中では『たとえば、なかなか勉強しない子どもがいる・・・さて、もしもあなたが親だったら、どうするか?・・・「勉強する」という課題があったとき、アドラー心理学では「これは誰の課題なのか?」と考える・・・親が「勉強しろ」と言うのは、他者の課題に対して土足で踏み込むような行為である。・・・誰の課題かを見分けるには、「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えればよい。」と主張してあって、プロサーファーになるために勉強せず、結局プロサーファーになれず身の振り方に困ったとしてもそれは本人の課題なので、親は勉強させる必要はない、でも、子どもの課題だから放任せよというわけではなく「子どもが何をしているのか知った上で、見守ること。勉強についていえば、それが本人の課題であることを伝え、もしも本人が勉強したいと思った時にはいつでも援助をする用意があることを伝えておく」というのが、この本のザックリとした意見や。 

Y: これには「子どもが自立した社会人に成長させることが教育であり、親の役目であり、もしくはそれこそ親からの愛。最低限は勉強させておかないといけない」という主旨の反論が予想されますね。

Aloha健: そうやな。でも俺も教育への考え方で書いた塾開業当時から、無理にさせる必要はないという考え方は変わってへんわ。塾講師が言うのも何やけど。だからアドラーさんに賛成やわ!わはは!ほな波が俺を呼んでるし、波乗り行ってくるわー マハローさいならー

Y: (アドラーさんって・・・)